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共同体主義

カラカンさんがこんな記事を書いてくれました。

これまでのこのブログの記述を整理して、三つ巴の大喜利に対する考え方の根本・本質の部分をまとめたような内容となっています。
以下の文章を読む前に、まずはカラカンさんの記事を読んで頂けたらと思います。

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カラカンさんの記事はとても的確に三つ巴の考えがまとめられていると思います。
少なくとも、大幅にこちらの意に反している部分はありません。

が、せっかくの機会なので少しだけ補足したいと思います。



カラカンさんは三つ巴のことを「共同体主義」と評しています。
これはまさしくその通りです。

今回カラカンさんがしたように、今までの記事を時系列を追って注意深く読んでいけば、共同体主義者であることは少しずつ見えてくるかと思います。その一方で、「自分は共同体主義者である!」と声高に主張することは、実は今まで敢えて避けてきたフシがあります。

これはなぜかというと、昔どこかで「終わりかけているコミュニティには大抵、内輪化を促進することを主張してコミュニティの足を引っ張る輩が現れるものだ」と書かれているのを見てドキッとしたからです。自分もそちら側の人間ではないことが保証できない以上、あまり強く自らの立場を主張することは控えてきました。
しかし、そのせいで記述が中途半端になって真意が伝わりにくくなっていたのだとしたら、それは良くなかったなあと、カラカンさんの記事を読みながら思った次第です。


では何故共同体的なものを重視しているかというと理由は2つあって、一つはカラカンさんの指摘の通り、笑いのツボは時間とともに拡散してしまうので、それに抗うための装置が必要だからです。(ただし、カラカンさんも疑問を呈しているように、笑いのツボは本当に時間とともに一方向的に拡散していく一方なのか?という点については、今は少し懐疑的ではあります)

もう一つの理由は単純で、「なんだかんだいって内輪的なものは面白いから」です。(カラカンさんの記事では世間一般に言う「内輪」と三つ巴の「内輪」とのズレに着目していますが、ここでの「内輪」は世間一般の方に近いでしょう)
もちろん、「その内輪の中にいる人にとっては」という但し書きが付くのは言うまでもありませんが。
内輪化による効用を最大限に享受して弊害を最小限に抑えられるよう、内輪化の強さや質を調整したり、何らかの装置を利用したりできるという前提の上で、ある程度は内輪的なものを許容するべきだ、というのが今現在の考えです。


もう一点だけ補足して終わりにしましょう。

カラカンさんは「教育的内輪」には「ツボの拡散を防ぐ」効果があるという点を取り上げています。
また、その前提のもとで、3つ目の争点として「教育的内輪」によって「ツボの拡散を防ぐ」ことの限界を論じています。

確かに「教育的内輪」によってツボの拡散を完全に防ぐのは不可能だと思います。
しかし、「教育的内輪」にはもう一つ重要な機能があります。
それは「価値観の異なる人どうしを繋ぎとめる」というものです。

いつも例に出して悪いんですが、ふかしさんを例に説明します。
自分とふかしさんとでは、大喜利に対する考え方はある意味では180度反対と言っても良いと思います。
この価値観の違いを「教育的内輪」によって埋めることが出来るかといえば、それは難しいでしょう。

じゃあ「教育的内輪」には何の意味もないかといえば、そんなことはないのです。
ふかしさんがラジオで大喜利について語るのを聴くことによって、ふかしさんがどんなことに重きを置いていてどんなものを面白いと感じるかを、ある程度理解して、尊重することはできるからです。

逆に「教育的内輪」の力が弱まるとどうなるか?を考えると分かりやすいかもしれません。
自分と異なる考え方を理解する機会がなくなり、「自分から見て異質な大喜利をする人」=「イタい人」または「サムい人」、下手をすれば「荒らし」という認識にダイレクトで繋がりやすくなります。こうなれば周りじゅう敵だらけで、とてもみんなで楽しく大喜利が出来るような場ではなくなってしまいます。

つまり、「教育的内輪」のこうした側面だけでも、ツボの拡散によって生じる問題を全て解決するとまではいかなくても、大幅に軽減することは出来るではないか、と考えています。
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コメント

[C306]

教育的内輪(勝手に造語つくっちゃってすみません)の、もう一歩進んだ話まで書いてくださりありがとうございます。

今回ぼくがこれを書いていて思い出したのが、大喜利PHPの変化に関する部分で、「小さな差異」か「大きな差異」というものでした。大雑把なポジショントークとして当時、僕はかつてあった大喜利PHPの流行は「小さな差異」、対して三つ巴さんは決して小さくはない、というものだったように覚えています。おそらくこの違いが、ツボが拡散するか否か、という前提に関係していて、僕は種のレベルで人間の笑いはそれほど変化していない、と考えているのでPHPの流行が「小さな差異」であるというよりも、そもそも笑いには小さな差異しか起こらない、という立場だったのだと思います。

さすがにブログ記事が長くなりすぎる&議論がしたいわけではなく大喜利について話す場の整理が目的だったので省きましたが、三つ巴さんの考えを(僕にできる限りで)体系的にみることで、新しい発見があってよかったです。

また今後もよろしくお願いします!

  • 2017-05-07 17:57
  • からかん
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[C307] Re: タイトルなし

ツボの拡散については、やはりある程度の規模(「小さな」とは言えないぐらいの規模)で発生するだろうと思うと同時に、人間の特性上どこまでも際限なく拡散していくことは無いのかなぁとも、最近は思っています。ある所で頭打ちになってストップするか、あるいは循環するか。
まあ何の根拠もない感覚的な話なんですけど。

自分の考えを体系的にまとめたい、と心の片隅では思いながらもなかなか手を付けられずにいた中で、とても的確にまとめていただいたことを感謝しています。ありがとうございました!
  • 2017-05-08 00:15
  • mitsudomoe
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